「自分で考えて自分で行動する」ことが成長につながる

いきなりだけど、僕の家なんか、親父は大企業に勤めているとはいえ帯広勤務だったし、母も商業高校を出て農協で働いてごく普通に結婚して兄弟も3人。とっても普通な家庭に育った。お金が沢山つかるわけではなく、どちらかというと生活はかなり我慢が多かったかもしれない。

小学校の時、まわりの同級生たちが小学6年生とか買ってもらっても、僕なんかは買ってもらったのは生まれて1回だけ、しかも風邪の時に買ってもらっただけ。まわりはみんなファミコン持っているのに買ってもらったのは中学校はいってから。ゲームする時間も1日1時間、超えたら没収。欲しいと思っても買ってもらえないものだから、欲しいと言わずに我慢することを覚えた。よくゲームの取り合いで弟とやりあったなぁ(笑

逆にそんなデジタルなものも無いし、遊ぶおもちゃも無いので、近所の緑ヶ丘公園で棒を持って走り回って遊んでたのを今でも覚えてる。あと、じいちゃんが物持ちが良くて、木材だけは豊富にあったので、一人でのこぎりや釘なんか使っていろんなもの作ったりした。ボルトもスパナもハンダもなんでもあったので、日が暮れるまでものを作って遊んでた。幼稚園の頃も折り紙で遊ぶのが好きで、幼稚園では折り紙博士なんて呼ばれてたみたい(笑)結局、昔は自分で考えて自分で遊ぶするということをずーっとやってきた。

あと親父が東芝だったというのもあって、小さい頃からパソコンだけはあった。だけどMS-DOSのコマンドなんてわかるわけ無いので使ったこともほとんど無かったのだが、親父がカチャカチャやってるところ見て、あぁパソコンやってみたいなぁと言う思いは強かった。

だから旭川高専に入ったのだけど、まさか自分が入った学科が機械で、パソコンなんてほとんどやらないなんて思ってもいなかった(笑

昔からものばっかり作っていたのもあって、機械工学科はそんなに居心地が悪いところではなかった。物理がベースだし流体力学や制御工学もあるし、機械というものづくりの基礎を覚えるのは苦ではなかった。

と、ここまで非常に長くなってしまったんだけど、自己分析してみると「自分で考えて自分で行動する」ということを今までずーっとやってきている。だから何でも自分でやってみて、失敗したらそのときに考えると言うことを子供の頃からずっとやっているから、どうやったらうまくいくんだろうと言うことを常に考えている。

その経験がすごい今活きていて、特に経営者になってからは自分で考えなければならないことが多く、失敗を恐れて行動が遅れるとそれ自体が大きな傷になってしまうことも多い。どうしても自分だけでは答えが出なくなったとき、また自分で考えるより他人が考えた方が早いとき、そんなときには人に相談するようにして自分の考えを早くまとめられるようにしてる。

よく「失敗は成功の元」なんて言うけど、兎に角実践してみてダメだったら再考する、これがビジネスのセオリーだと思う。チャレンジしなければ先に進むことは無いし、失敗しなければ学べることも少なくなる。特に自分で考えて失敗したと言うことはなかなか得難い経験をさせてくれる。何でダメだったかというのを1から全部振り替えれる、そして学んで自分の血となり肉となる。

考えるから答えが出るし、答えが出て失敗しても、そこから学んでまた考えればより成功に近づく。

さーて、今日は何を考えようかな。

まずは壊れた洗濯機をどう処分するかを考えなければ、部屋にたまった洗濯物が片付けられないのを思い出した(笑

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